2010年02月08日

『一歩を超える勇気』栗城史多 レビュー

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友達にこの本が良い!と薦められたので、最近読書をしていなかったのだが、久しぶりに本を買ってみた。

『一歩を超える勇気』栗城史多

友達曰く、

「この本はある登山家が書いたものなんだけどね、そこいらの口先だけの自己啓発本を読むよりも、ずっと面白いよ。登山の記録やその思いが語られているんだけど、それが実体験に基づいていて、リアリティがあって、共感できる」


■前置き(読むのだるい人は飛ばしてOK)
僕は派遣の時、自己啓発本を読みまくったことがある。この頃のブログの内容が妙に精神論的だったり、夢を語ったりしているのもその影響だ。
良い本、くだらない本といろいろあったが、それら全て僕の糧になっている。こういう時期があって良かった。しかし、同時にこれ系の自己啓発本では満たされない僕自身の需要があるということもわかった。

こういう本には一定の傾向がある。

「こんな風にやったら成功できたよ!あなたも同じようにやってみて」

「こんな風に考え方を変えたら幸せな気分になれたよ!こんな風に考えてみて」

著者の体験の“結果”に基づいて、語られている。だからうまくまとめられていて読みやすいし、分析されているので「どうやったら成功した」という因果関係もはっきりしていて解りやすい。

ただ、同時にデメリットもあって、それらはキレイにまとめられているが為に“リアリティ”がない。言葉が悪い意味で「つまりこういうこと」と抽象化されている。結果論、後付けなら、なんとでも言える。成功する過程で悩み、もがき苦しみ、何度も失敗しているはずなのに、その様子が全然見えてこない。
少ない失敗談すらも

「いやー昔は大変だったんだよ。でもね、俺は諦めずにがんばって、最後は成功した!」

って過去を振り返りながら語られているから、なんか美化されちゃっている。

僕は性格が捻じ曲がってるからかも知れないが、こういう“昔話”ではなく、今活躍している人の、今の失敗体験が読みたい。


■読んでみて
、、、と、そんな僕の需要を満たしてくれた本。

大まかに説明すると、登山の記録と、それの感想。体験談を語る本としてはこれといって目新しいものはなく、「あの山の頂上まで登った〜、こっちの山の頂上まで登った〜」と本が進んでいく。

これだけならよくある流れなのだが、この本は「失敗」で終わる。

最後の章で語られる言葉は、

「僕は、敗退したのだ。僕の夢は、叶わなかった」

2年間かけてスポンサーを回って資金を集め、登山の準備をして、いろんな人を巻き込んで、最後、失敗。
これだけ見たら、なんともカッコ悪い、締まらない終わり方。でも、僕はこの終わり方が、逆にとてもカッコいいと思った。

イイカッコするなら、最後の失敗する章は載せなきゃいいのに。イイカッコし続けてたら次もスポンサー付きやすいだろうに。

でもこれは、著者である栗城氏が同書で述べている、

「成功と失敗は同じカテゴリ、成功の反対は『なにもしない』」

「山と対峙しない。全てを受け入れる」

という考え方をそのまま表現したものになっている。きっと、この失敗も次の山に登る為の伏線に過ぎないし、山に登れなかったのも、まあこんな時もあるさと思っているのだろう。

こういう風に心の底から思えるのは経験が伴っていないとできないことだ。本当に、本当に登りたかった山、自ら敗退を悟った時、泣いて、叫んだという。そんなことをさらけ出して語れるのは、すごい。

途中までは

「夢を人に語れば、いつかきっと必ず叶う」

「みんなが僕を応援してくれたのは、僕が無欲だったから」

等という、病気で苦しんでいる僕なんかからするとちょっとアレな感じな文もあったが、まあこういうスペシャリストの人達は良くも悪くも素直だからそこはあまり気にしない。


とにかく、失敗をきちんと受け止め、語れる、失敗は単なる過程であって結果ではないということを口先だけでなく体現している人が書いた本だった。面白かった。


ちなみにこの人は前にネットでちょっと話題になったのでこういう人がいるという事は知ってはいた。

「人の遺体が山頂の目印」という標高8167mの極限世界

僕がグダグダ語るよりもこの映像を見た方がいろいろ伝わるかもしれない。

一歩を越える勇気一歩を越える勇気
著者:栗城史多




小さな登山家 栗城史多 ブログ
本人のブログです。興味を持った方は是非。
本には書いてなかったけど、夢であるネット中継実現の為に個人で800万の借金とかしてたんだなあ、、、


2010年02月06日

NHKスペシャルの無縁死の番組が衝撃的すぎる

NHK「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到

NHKの地味なドキュメンタリーにも関わらず2ちゃんねるのTV実況板で14という異例の多さのスレッドを消費した番組。

僕の好きなニュースサイトでもある、「めっつぉ」でこの記事を取り上げたところ、軽く炎上しエントリが削除されるまでに至った、問題の番組。


ニュースはちょっと前に知っていたのですが、動画を発見したので見てみました。

お、、、重い、、、重過ぎる、、、

この重さは半端じゃない、、、

ほんとにいろんな、いろんなことを考えさせられます。
ちょっと編集が不安煽り気味になってる感はありますけど、それだけ心に訴えかけるような内容になっていますので、一時間という長さの動画にも関わらず、一気に見ちゃいました。

週末、もしも時間があって自分の人生を真剣に考えてみたい人は是非。ただし、鬱になること間違いなしですが。
(動画あり)NHKスペシャル 無縁死 孤独死(1月31日)

僕が個人的に印象に残ったのは、離婚して老人ホームで生活している男性の言葉。

「全部自分に(ツケが)返ってきた」

10代の頃、30代の今の自分がどんなことを考えているのか想像すらできなかったのと同じように、今の自分が50、60代に何を考えて、どんな価値観で生きているのか、到底想像もできないのでしょう。
でも、その時にこんな台詞を言わないように、この先、生きていきたいものです。


それにしても重い、、、

2010年02月05日

夫婦関係は国家間の外交に似ている 2/2

前回の続き)

外交が必要なのはわかった、では対話があれば互いの利害のバランスをとり、外交がうまくいくのか、というと、実はそうではない。
僕自身、ちょっと前まで利害のバランスが合っていれば物事はうまくいくと思っていた。けど、それだけじゃダメなのだ。

前述したODAの話もそうだが、ただ金をずっと渡すだけでは、「小切手外交」なんて言われてしまう。実際に足を動かし、手間や面倒が生じても、直接相手に関わることで信頼関係に大きな差が出てくる。

所詮、人間同士の付き合いなのだ。誕生日の祝いに、高価な品物が宅配便で届いて終わり、ではなく、多少安物だって直接来てくれて、一緒にご飯を食べながら祝う方がいいだろう。やはり人間に感情というものがある以上、それが満たされなければ良好な関係は生まれない。

この“夫婦の愛”の部分、国家で言うならば国民感情とでも置き換えられるものは、政策をすすめていく上で無視できない、非常に大きなものなのだ。「必要だからする」ことよりも、「したいからする」ことの方がクオリティは高くなるだろう。

長くなってしまったが、要は

損得勘定や合理的な対話は前提としてあるのは必須、しかしそれだけじゃダメ。人は心が動かなければ対話をしたいというモチベーションが上がらない。
合理的な話もしつつ、相手の気分も盛り上げて、相手に『対話したい!』と思わせ続けることが出来れば夫婦も国家も安泰!」

ということ。短期的にはいくらでもやりようがあるだろうが、国家の存続に期限がないのと同じように、夫婦の関係も基本的には“一生”。長期的な視点を持って対応していかなければならない。

時にはおだて、時には戒め、お互いがお互いをアメとムチで軌道修正し合う。非常に難しいことで、きっと未婚の方なんかがこんなのを読むと「めんどくさい、、、」と思われるだろうが、人間の長い歴史の中でそれこそ数え切れないくらいの多くの男女が結婚し、今の僕たちがいるわけで、昔の大半の人が今までできたんだから、きっとうちらもできる。大丈夫。

多少のいざこざは歓迎するくらいの気持ちでいい。近隣国と仲が良い国なんて滅多にない。特に発展途上国(=まだ未成熟な関係のカップル)は顕著。相手が近い存在であればあるほど、意見の食い違いは生まれるものだ。
しかし、戦争(相手を傷つけたりすること)などという愚かな手段をとり、国家滅亡や断交だけは避けたい。


賢い外交手腕というものが夫婦には問われるのだ。