大企業社員→専業主夫で「男のプライド」失う 10年間考えた自分だけの“男らしさ”

(記事提供、掲載メディア:『スマダン』) 
大企業社員→専業主夫で「男のプライド」失う 10年間考えた自分だけの“男らしさ”

専業主夫で一番つらかったのは「男のプライド」の喪失

専業主夫を10年間やってみて、大きく変わったのは僕の人生観です。もう少し具体的に言うと、僕が男としてどう男らしく生きるべきか、というイメージが変わりました。

主夫になった当初、一番辛かったのは「男のプライド」を失うことでした。10年経って、僕の「男のプライド」のイメージは全くの虚構だと気づけましたが、そこにたどり着くまでに、僕の場合は随分と時間がかかりました。

男のプライドは「仕事」?

かつて僕がまだ会社員だった頃、僕は仕事をしていると安心できました。
誰もが知っている大企業の組織に属している、というのが快感でした。独身の頃に参加した合コンでは、社名を出せば女の子の反応が変わりました。会社近くの店、レストラン、空港などで「いつもご贔屓にしてもらってるから」と特別扱いを受けたこともあります。

もちろんこれは会社の名前のおかげ、ということもわかってはいたのですが、それでも自分が立派な人間であるという錯覚に酔いしれることができて気持ちよかったのです。

それにそもそも、仕事という行為は社会から称賛されるとても良いこととされています。それも当然、仕事は経済活動に貢献していますし、誰かの課題を解決するための能動的な行動です。「仕事だから」という理由は、他のなによりも優先される、くらいに思っていました。

また10~20代の頃、多くの女性から「仕事ができる男性はカッコいい、お金持ちはカッコいい」という話を聞きました。仕事をして偉くなればより大きな仕事に関われるし、給料も上がります。女性に認められたいと思う僕にとって、女性が一番求めているものに応えるのは男である僕にとって当然の行動でもありました。

僕にとって仕事は、男性にとっての「正解」の行為と信じて疑わなかったのです。

主夫になって、全て失う

当然ですが、主夫になればこういった組織の肩書、地位や人脈、高い給料などをすべて失います。お金に関してはうちは共働きであったため、生活するのにはそんなに困るような状況ではなかったのですが、一番の問題は僕自身の価値観でした。

働いていた頃は「どこどこ(社名)のムーチョさん」だったのが、ただの「ムーチョ」になりました。主夫には名刺に書く肩書すらありませんし、そもそも名刺なんて必要ない世界なのです。完全な、“個人”です。

肩書は、僕の「男のプライド」そのものでした。肩書がない、これこそが専業主夫の辛さであり、似たような存在である「イクメン」との差だと思っています。

イクメンは素晴らしいことです。数か月、一年の育休を取るのはとても勇気がいることですし、会社の同僚から理解が無い中、自分の信念を貫くのは並大抵のことではないでしょう。僕もガチイクメンの友達はたくさんいるので、そういった話はよく聞きます。

ただ、話を聞けば聞くほど「やはりイクメンは主夫とはちがう」面も見えてきます。イクメンの軸足はなんだかんだいって会社にあるのです。イクメンのアイデンティティは、「◯◯会社の誰々さん」というところでは変わりません。

主夫からすると「今は一緒に育児トークができてるけど、一年後、この人はまた仕事社会に戻れるんだもんなあ…」と思ってしまうのです。

「この生活はこの先10年、いや、もしかしたらもう社会から必要ともされず、一生働けないかもしれない…!?」という恐怖、これはイクメンは感じない、主夫特有の悩みでしょう。

新しい価値観が身についた時、世界が違って見える

専業主夫になった当初は肩書が無いことに対する不安はそれは大きいものでしたが、主夫としての経験を積んでいくにつれてだんだん無くなっていきます。「あれ?実は肩書きって、無くても生きていける?」という気づきです。今振り返ってみると当たり前のことなのですが、当時の自分にとってこの気付きは大きなものでした。

こういうのは本当にやってみないとわからないものなのだなあ、とつくづく思いますが、主夫の生活は非常にやりがいがあるのです。父親というのはすごい存在で、自分以外の人ができない、代わりのきかないことなのです。ある人間の、唯一無二の存在になるわけです。こんなに責任が重くて、こんなに素敵なことはないですよね。

子供の成長は予想外でいて、素直です。天使のようにかわいい瞬間があったと思えば、5分後には悪魔のようないたずらをしています。毎日が感情のジェットコースターです。子供がレストランで思い切り皿をひっくり返したり、友達と喧嘩して怪我をさせてしまったりということもありました…。その度に僕の感情メーターは限界を超え、自分の器の小ささを直視せざるを得ない毎日でした。

しかも、そんなトラブルに見舞われても自分を守ってくれる後ろ盾はないのです。会社員の頃は「自分だけのせいじゃないし」と気持ち的に逃げることもできましたが、子供のミスは全て自分1人が対処するしかないのです。自分が唯一の最高責任者なのです。

はじめはその責任の重さが苦痛に感じられることもありましたが、自分が最高責任者という自覚を持ってからは、日々の生活が違ってみえるようになりました。自分がやるしかない、というのは裏を返せば自分の工夫次第でいろんなことができるということでもあるのです。

自分の貧相な「子育ての先入観」にとらわれず、もっとゼロベースで課題を解決するような発想に切り替えてみよう、そう思えたらどんどん生活が上手くいくようになっていきました。
そしてこの発想の転換は、結果的に僕の中の「男らしさ」の発想の転換にも繋がることとなります。

誰かに与えられた借り物でなく、自分だけのオリジナルなプライド

僕はこの10年間、ずっと「男らしさ」について考えてきました。会社をやめて「男のプライド」を失ったと感じ、その後「男のプライドなんてなくてもいいんじゃない?」と思い……そして今では「男らしさは大事、ただ自分自身が大事にするものであって、周りに押し付けるものではない」という考えになりました。

男らしさの話をすると、ネットでよく「そんな性的なものにこだわるなんてくだらない」と言う人たちもいます。しかし僕は、そういった自分を作り上げるアイデンティティのひとつに対して誇りを持つことは悪いことでもなんでもないと思っています。これは日本人として日本が好きだったり、自分が卒業した母校をスポーツで応援したり、自分が生まれ育った故郷に愛着を持つことと同じです。

いつも問題になるのは、これを他人に押し付けることです。
「俺はこれが男らしいと思うし、みんなもそう思ってるから、お前もこれが男らしいと思え
というのがダメであって、「俺はこれが男らしいと思う。以上」なら問題はないのです。個人の価値観は、個人の自由です。

僕は10代~20代前半までは、人の価値観をコピーした「受け売りの男らしさ」を身に付けてしまっていました。

「周りがこういうのが良いと言ってるから、こうしよう」「男は普通こうするもんだろ」「男ってのは一般的に…」
家族、友人、教師、マスメディア、いろんなところから影響を受けました。まだ若かったから仕方ない部分もあるとは言え、浅はかでした。

僕は主夫の経験を通して、この「らしさ」について時間をかけて考え、そしてその結果、自分にカスタマイズされた、自分だけの男らしさを見つけることができました。
僕の男らしさは
合理的に考えて周りに流されずに本質を捉え、強い行動力で自分の周りの人達を幸せにする
です。もちろんこれは僕だけのマイルールであって、他人に強要するどころか、共感してもらおうとも思っていません。僕だけがわかればいい、僕だけの「男らしさ」です。

時代は変わっている

僕の友人で、主夫をしながら大学院でジェンダー関連の研究をしている方と最近お会いしたのですが、その方は「今の20代に話を聞くと、主夫になることにためらいのない人が多い。きっと今の30代が転換期なのかもしれない」と言っていました。

社会が共有する「男らしさ」の形は確実に変わってきていると感じます。これからの男性は旧来の「押し付けられた男らしさ」の縛りに囚われず、それぞれが自分なりの「男らしさ」を見つけられるような生き方をしてほしい、と勝手ながら願っています。