男は「ATM」に成り下るべきじゃない 保育の無償化なら、残業も減らそう

(記事提供、掲載メディア:『スマダン』) 

保育の無償化、始まる

2019年10月から「幼児教育・保育無償化」が始まります。
少子化に対応するための育児支援の一環という目的で行われ、「今さらやっとか」と思う人も多いでしょうが、それでもやはり実際に無償化になるというのはインパクトがあります。

無償化の対象となる条件は家庭の状況・子供の年齢・施設の種類によって異なりますが、ほとんどの場合無償または補助が出ることとなり、子持ち家庭の経済的は大きく減ることが予想されます。

制度設計に一部批判はあるものの、これは日本の子育て環境の改善への大きな前進と言えるでしょう。

「保育」の問題は「女性」の問題?

ところでこの保育の問題、いつも「女性の問題」と捉えられがちなのは、いったいなぜなのでしょうか? 子供は「男女」で育てるものなのに、なぜいつも保育の問題となると女性ばかりが取り上げられるのでしょう。

男女平等のイメージが強い、ウェブメディアですらも、保育の話題では「ママ達の声が~」と紹介し、パパ達はあたかも存在しないかのように書くことが多かったりします。

保育の話は、夫婦の話です。夫婦で相談して、子どもを持とうと決断した瞬間、男は「父親」になります。父親になれば、父親としての責任が生じるわけです。

「働いていればOK」という時代、いよいよ終わる

昔の父親は、ある意味シンプルでした。「稼いでいればOK」と言われ、あとは偉そうにふんぞり返っていてもなんとかなった時代もありました。しかし今は女性が男と同等に稼ぐ時代。そして今回、保育園も無償になり、さらに家庭の経済的負担は減りました。金稼ぎは男の専売特許ではなくなったのです。仕事をしてお金だけ入れていれば責任を果たした、なんて誰も認めてくれません。

今の時代は器用であることが求められます。昔の男性は仕事をしていれば社会的にOKでしたが、今の男性は仕事で稼ぎつつ出世も目指しつつ、さらに「イクメン」であることを求められ育児まで完璧にこなさなければ認められない。非常に複雑で大変な役割です。

ただ、では「昔の男性のようになりたいですか?」と言われて、「はい」と答える男性はきっと少ないでしょう。昭和の男性像を引きずった年配の男性を白い目で見てきたのは、他でもない20代、30代の僕ら自身です。ああいう風になってはいけない、ああなってしまったら将来ヤバイ、という感覚はきっと皆共有しているでしょう。大変ではあるけれど、もう昔には戻れないのです。

仕事は「そこそこ」でいい、と思える勇気

ではどうすればいいのか? 一日に24時間しかないのに仕事も家事も育児も、というのは正直無理ゲーです。これはもう、仕事のプライオリティを下げるしかないです。独身の人とは違い、既婚者は仕事に「全振り」ができません。少なくとも、妻や子どもを大事にするようなまともな男性には絶対に無理です。

ここはもう、独身の人たちと競うのはやめましょう。自分には自分の仕事のペース、関わる範疇を決めて、「それなり」にこなしていく、というマインドに切り替えていきましょう。

男は自ら進んでATMに成り下がるべきではない

こういうことを言うと、「仕事に本気で向き合わない男は、男らしくないのではないか?」と不安になる男性もいるでしょう。仕事こだわるのも一つの男らしさかもしれませんが、その自分の特異なこだわりのために家族を不幸にすることは、本当に「男らしい」ことなのか、疑問です。

また、「女性はなんだかんだいって働く男を求めている、仕事ができる奴がモテる」と考える男性もいるでしょう。確かにそういう女性もいるでしょうが、そうではない女性もいます。いろんな価値観の女性がいますし、モテも人それぞれです。

もしもあなたが「男を仕事をするもの」と、そういう振る舞いをしたら、「男は仕事をして稼ぐのが当たり前」という女性が近づいてくるでしょう。あとは、男を仕事をするだけの対象としてしか見てない女にモテたいですか?という話ですね(まあ、そういう価値観も否定はしませんが)。

どんな役割を求められているのか

もしもこれを読んでいる貴方が、夫婦で子育てをして、夫婦で仕事をして、困ったときはお互い助け合い、「金の切れ目が縁の切れ目」ではない、二人三脚で支えあうフラットな関係の夫婦像を目指しているのなら、ぜひ「目の前の人がなにを求めているのか」についてもう一度考えてみてほしいところです。妻、そして子どもは、あなたにどんな役割を求めているのでしょうか?