ツイッターのCEO交代に感じた「終わり」

2021.12.08
ここ1週間でかなり考えさせられた、二つの記事。
 
「ツイッターに興味がなくなった」と発言した旧CEO、ジャック・ドーシー氏。
 
「憲法修正第1条に縛られない」と発言した新CEO、パラグ・アグラワル氏。
 
ツイッターのCEOが変わるからって、我々一般人のツイッター利用状況が変わるわけじゃないよね、とほとんどの人が思うのかもしれないが、僕は結構不安になった。今や「どのプラットフォームで何が表現できるのか」は、その企業の方針次第でかなり変わる時代になったからだ。
ツイッター上のセンサーシップは、発言の規制が強くなり過ぎて、全然自由闊達な話ができる場ではなくなった。なんでもそうだが、こういうのって「ちゃんと」すればするほど、面白くなくなってくる。ユーザが模索して、いろいろ試してる時のプラットフォームが1番面白い。
これからは「表現の自由を重視しない」方針に変わる、なんて新CEOも言ってるくらいだから、もうツイッターは完全に「ちゃんと」した場になるんだろう。Facebook的に、自分のアイデンティティを表明する場としての機能は残るだろうけど、それ以上の発展はない。これは確信とまではまだいかないけど、相当強く感じている。2021年はツイッターが終わった年だったなあ、とあとで振り返ると思うのだろう。
 
僕はツイッターで商売してるわけでもないので、それでも構わない。一応フォロワーが13000人くらいいて、それを活かせないのはなんかもったいないなあとも少し思うけど、まあ別にいい。これだって主夫をやってた時に思うがままの際どい話をしまくってたらたまたま増えただけであって、狙ったわけでもない。時代の需要にたまたまマッチしただけ。現に今はフォロワー数は増えてないどころか、減っている。そいういう意味でも、もうツイッターからも僕は求められてないんだろうなあと思う。
僕が求めてるのは、とにかく「ワクワク」できること。それ自体がゴールなのだ。
ワケのわからないものがポッと生まれて、
「何これ!!??全然ワケわからない!!??でもなんか面白い!すごい!」
という体験をするのが僕の人生のゴール。
新しいものに飛びつくことで、それをいち早く取り入れてそれで儲けようとする人が多いけど、僕はそうではない。マネタイズも苦手だし。とにかく、
「おおおおお!!!」
となって、脳汁が出ればそれでいいのだ。
ツイッターもかつてはそういう場所だった。
始めた頃は
世界中と繋がれた感覚を得た時の衝撃、
全く知らない人から応援された時の暖かさ、
とんでもない量のクソリプが届きまくった時の絶望、(のちにそれは「炎上」と呼ばれるようになる)
いろいろあったが、どれも自分が今までの人生で全く体験したことない、新しい刺激だった。
 
しかし今は違う。
もうそこには予定調和しかない。
流行りのトピック、毎年繰り返されるトレンド、何周したかわからない議論、規制される発言、キャンセルされるアカウント。
全然ワクワクしない自分がいる。
次にくるのはVRの世界であることは間違いないけど、まだデバイスが追い付いてない関係で、一般層に普及するのはもう少し先になるはず。
今の段階で、1番現実的に自己表現できるのはショート動画、ライブ配信だと思ってる。これもいずれはVRの世界に取って代わられる「繋ぎ」の表現方法だろうけど、それでも人間はまだまだ基本はスマホを使い続けるだろうし、あと少なくとも5〜7年は「縦持ちスマホで見る動画」で行けると思う。まだ5Gすらろくに普及してないので、まあまだまだ動画の伸び代はあるだろう。
こんなことを考えていたら、まさに同じ感触を持ってる言葉が、購読してる白饅頭氏のnoteの記事にあった。
ほのぼのとしたコミュニケーションツールとして楽しんでいる人もいるが、そうした人はどんどん少なくなり、別のSNSへと移住している。別にそのようなことをツイッターでなければやれないわけではないからだ。Discordでやればいい。また不特定多数に向けてのコミュニケーションであれば、Tiktokの方がよほど平和でポジティブで創造的な雰囲気が漂っている。
いや、共感しかない。TikTokをやってわかったが、ここにはポジティブなエネルギーがある。やはり若い人はそういうものに敏感に反応するものなのだ。僕がツイッターを始めた時は若かったが、どうもツイッターと共に年老いてしまったようだ。ここらでもう一度若返らないといけない。
 
 
僕はコンテンツベースのプラットフォームが昔から好きで、ツイッターはそこがすごく気に入っていた。コンテンツベース、つまり、「誰が言っているか」よりも「何を言っているか」が重視される世界。
FacebookやInstagramは「拡散」機能が弱いので、「何を言っているか」よりも「誰が言っているか」が重要にならざるを得なかった。だから、とにかく友達の数だけが多い人、芸能人みたいな人が無駄にフォロワーが多くて、拡散力がある、という、現実の力学が働く延長線上にあるようなSNSが好きになれなかった。
ツイッターは神機能「リツイート」が生まれたことで、無名な人の発言でも一気に広まる爆発力があった。誰の発言でも構わない、面白ければそれでいい、という世界だった。
ツイッターが終わった今、その次にくるのがTikTokなのではないかと考えている。いろいろ違うし、そもそも共産圏の中国発のプラットフォームにどれだけ自由があるのか、という懸念はあるけど、でもそれでもアプリの設計が「コンテンツベース」になってるのが僕は好感が持てる。ツイッターのようなシェア機能中心というよりも、アルゴリズムでオススメ表示されることに全振りしてるような設計があるので、ツイッターとはまた違う形でうまく多くの人にリーチすることができ、表現者の承認欲求を満たしてくれるのだ。
誰が作っているかは大して気にしない、面白ければいい、というのは内容だけで勝負ができる、とても居心地の良い世界。
2022年、多分スマホでどのSNSアプリを日常的に立ち上げるのかがかなり変わるようになる気がする。僕はとにかく快適に表現ができればそれでいいので、プラットフォームにあまりとらわれずに、フラフラしていきたいと思う。