SNSの「つながり過ぎ」をやめて、「壁」を作ろう
2021.11.22
この週末は意識的にSNSから離れるようにしていた。デジタル・デトックスをするといい、というけど、デジタルデバイス全部だとちょっとざっくりしすぎというか、もう少し具体的にはSNSデトックスが必要だと思ってる。
仕事の関係で必要もあって、最近特にSNSに長時間触れる機会が多くあったのだけど、ある日、頭がボーッとして、あまり深いことが考えられなくなって、何も仕事に手がつかなくなってしまった。こんなことがあるのか、と少しびっくりしたが、原因はなんとなくわかっていたので、SNSから離れた。幸い、数日離れるとペースは戻り、今日はこうやってまた元気に文章を書くことができている。
僕が最近読んでる有料メルマガでも「つながり過ぎ」についての記事があった。つながり過ぎ、は僕も最近とてもよく感じるし、なんなら、かなり限界を感じている。ツイッターをやめようか、と真剣に考えたこともあったくらいだ。
SNSによって、多くの他の価値観に触れることができるようになった。大きなメリットはあったものの、そこから生まれる「集団の感情」により気に入らない価値観への粛清が生まれるようになってしまった。さながらそれはイナゴの集団のようで、個々の意見があるというよりも「大きなうねり」のみがあるような状態で、誰も責任を取る人がいないまま、ただ破壊を続けていく。

僕は前からずっと「Twitter Blue」の導入を心待ちにしているが、いまだに日本地域では導入されない。Twitter Blueとは、ツイッター上でサブスクリプションが提供できるサービスだ。要は「有料ツイッター」にすることができる、ということ。この「有料化」がイナゴ対策に非常に効果的になると、期待している。
有料と聞くとそれだけで抵抗を感じる人がいるのは知ってる。僕は学生さんにもメッセージを届けたい、という思いもあって今まで発信はできるだけ無料提供を心がけてきたが、そろそろ無理が来ている。
残念なことに、無料で情報を提供すると、それだけで「イナゴの集団」が大量に押し寄せてくる時代になってしまった。「ペイウォール」という言葉があるが、有料にすることで、自分の表現の場に「壁」を作ることができる。もうこの壁がないと、安心して表現することが難しい時代になってしまったと感じている。
もちろん全ての表現者にこの「壁」が必要なわけではない。ただ、僕個人の表現は、「社会の常識や倫理観を一度横に置いてみて、ゼロベースで考えた場合どうなるんだろう」という好奇心がきっかけで生まれることが非常に多い。だから、その時代の流行りの倫理観(倫理観ってのは普遍不朽のものではなく、その時代や地域だけの、ただの流行です)にそぐわない表現をすることも多く、それにいちいち「それは倫理的にアウトです!」と言ってくる匿名のイナゴが出てくるのは、正直邪魔でしかない。
今までは「それはわかってます、でもその上で「やってるんです」と返していたが、ある時イナゴにいくら丁寧に説明しても何も生産性がない「理解が進む」「分かり合う、」といった進展が起こらないことに気づいた。イナゴ的な発信をする人たちは、そもそもその攻撃する対象に内容に深い考察があるわけでもなく、そこに炎上の火があるから集まって来るだけの虫なのだ。火が消えたら雲散霧消するだけの存在で、「理解し合おう」という発想がそもそもない。台風や地震などの自然現象のようなものと捉えるのがわかりやすい。
だから、そんな自然現象から身を守るために、壁を作る。
壁を作ることにより、今までできていたものを失うこともあるけど、それはもう時代の流れとして受け入れるしかないと思っている。
失うこと、それについては長くなりそうなのでまた次回。